八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

生い立ち 美大受験塾時代 現役編

久しぶりの生い立ちシリーズです。

高校1年から地域で1番近い画塾に通い始めました。たしか夏期講習のちょっと前くらいに入塾したような記憶があります。1浪2浪3浪の先輩たちがいて、目玉が飛び出るくらい上手い絵を描いています。それはもうまるで私など足元にも及ばないレベルです。

わたしはよく自宅でデッサンの真似事をして自分の手を描いたりしていましたが、それはそれで味のある作品ではありましたが、先輩たちのデッサンはもう次元の違うものでした。

 

画塾では、美大出身で画家をしながら先生をやってる人達と東京芸大の生徒さん達が数人、先生をやっていました。大会社のエントランスに飾られるような有名な画家の先生もいました。

そして、誰も絵の描き方を教えてくれないのでした。「空間を表現しろ」とか「石膏像は白いから白く描け」とか言うのです。

先生達の言ってる意味が全然分かりませんでした。その上先生達は、人の絵を見て大笑いしたり、「下手」だの「汚い」だの言いたい放題でした。

恥ずかしいやら悔しいやら、でよくイライラしていたものです。いつか見返してやる、とよく思っていました。

 

入塾して初めての夏期講習で、デッサンや着彩、粘土の立体、平面構成など2週間ひたすら勉強し、最後にコンクールがありました。

石膏デッサンのコンクールで珍しく気持ちよく描けました。すると何を間違ったか6位を取りました。30人くらいの生徒がいて、上段、中段、下段と10枚ずつ並べられた中の、上段に私のデッサンがありました。まだ始めたばかりの高校1年生で、デッサンのデの字もわからなかったので、正直まぐれです。先生方は「これさー全然デッサンをわかってないのが一目瞭然だけど、なんか綺麗なんだよね。」と私のデッサンを評価してくれました。

 

なんとなく華々しくデビューしたような感じですが、その後はどんなに頑張っても頑張っても思うように描けず、根性と忍耐の日々でした。

同級生にどう考えても私とは異次元のちょっと天才のような女子が同じ画塾にいました。粘土で立体を作るときに、粘土にラップをかけて噛み付いてみたりするのです。それをナチュラルにやるのです。そして、ものすごく絵が上手く、色が美しく、浪人している先輩と遜色ない仕上がりの作品を作る人でした。

羨ましくて羨ましくて、彼女のやることをよく真似しました。(さすがに粘土に噛み付くのはしませんでしたが) でも到底彼女には追いつけない私でした。

 

同じ様に美大を目指す同級生や後輩もたくさんいて、一緒に遊んだり時には喧嘩したり、先生のタバコを吸ってみたり、勝手に画塾に泊まり込んでみたり、けっこう楽しく過ごしていました。

 

現役時代は、悩みながら絵に向かいつつも半分遊んでいたようなものでした。なのに、芸大か多摩美武蔵美以外に入る気はありませんでした。当然現役で入れるレベルではないことを自覚していたので、入試は受けたものの、結果も見に行かずに浪人の手続きを勝手に進めました。

 

続く