八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

大人になることを阻止される 1

また母は、私が恋愛と関わることを極端に忌み嫌い、詮索し何か見つけると激怒しました。

 

私は放置されていた幼少期はたいてい近所の男の子と遊んでいました。その方が性に合っていたのです。小学校に上がってからは近所や学校に親友と呼べるような特別仲のいい女友達ができましたが、それ以外は外で走り回って男子と遊んでる方が楽しい,そんな子供でした。

 

学校低学年の頃、「○ちゃん(私)は隣の男子と授業中もおしゃべりばっかりしてる」と近所の子が話の流れで母に告げ口しました。

その時母は「あんた、その子が好きなの?馬鹿じゃないの?かなりませてるね。」怒りを込めて私に言いました。わたしは隣の男子なんて好きでもなんでもありませんでした。

でも、小学生の間はまだそれほどの干渉はなく、相変わらず男子とドッチボールをして遊ぶ日々を送っていました。

 

問題は中学以降です。

きのうの日記でも書いたとおり、友達との交換日記、自分の日記、手紙など、全て探しだして読まれました。そしてその内容について激怒するのです。隠す場所も限られてますし、いとも簡単に見つけられました。

そして、好きな男の子の話を見つけると、「ませてる、気持ち悪い、絶対ダメ」というようなことを言ってきました。

 

当時は連絡網というのがあり、学校の連絡事項を電話で順番に伝える、というアナログな手法がありました。ある日、わたしの前の女子が留守でその前の男子からうちに電話がかかってきたことがありました。母が出て,わたしに代わりました。学校の連絡事項を伝えられて電話を切りました。その途端待ち構えていた母に「なんで男から電話が来るんだ!」と怒鳴られ蹴られました。「連絡網だよ」といくら言っても「男じゃなかったはずだ!」と言って説明を信じてくれませんでした。その時も(こいつはどうかしてる)とお手上げ状態になりました。

 

また、その頃流行っていたテレビのトレンディドラマは一切見せてもらえませんでした。学校でみんながドラマの話で盛り上がっているのには全くついていけませんでした。

どうしても観たくて、部屋でラジオの周波数を合わせてドラマの音声だけを聞いたりしていましたが、なかなか周波数が合わずザーザー音で内容がよくわかりませんでした。

 

長くなったので今日はこの辺で…