八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

プライバシーはなかった

母は、自分の子供であっても親とは違う人間で、違う人格を持ち、プライバシーを尊重するべきだ、ということを知らない人でした。今では当たり前の概念ですが、昭和の子育てでは珍しくなかったのかもしれません。しかし、わたしの母はその観念が特別に欠落していたように思います。

 

引き出しの奥に隠しておいた日記を読み、机の上に開いた状態で置いてありました。

手紙も引っ張り出して読まれました。そして内容について文句を言われました。

お小遣いで買い揃えた漫画を,ある日全部捨てられました。恋愛モノでSEXの描写があったのが気に食わなかったようです。

 

消しゴムのカバーを外し、消しゴムに好きな人にその人の名前を書いてもらい、またカバーをし、その消しゴムを使い切ったら恋が成就する、という,当時の中学生らしい可愛らしいジンクスがありました。直接名前を書いてもらうので、半分告白したようなものです。私も当時好きだった男の子に名前を書いてもらい、大事にその消しゴムを使っていました。

ある朝、起きて洗面所にいくと、なんとその消しゴムのカバーが外され、男の子の名前が書かれた面を上にして洗面台に置かれていました。家族全員が使う洗面所で晒されていました。

慌てて筆箱にしまいましたが、中学生にはあまりにも恥ずかしく、そして大事な大事な消しゴムを汚されたようでとても悲しく、あまりにも酷い仕打ちをする母を憎みました。その仕打ちになんの意味があるのでしょう。ただのイジメでしかありません。

 

結局その後も私には自宅にいる限りプライバシーはありませんでした。当時の家電話は本体と2階に子機があったのですが、友達と自分の部屋で子機で電話をしていると、1階にある親機から会話を盗み聞きしようとしてきました。音でわかるのですぐに会話を終えて電話を切りました。そんなことは日常茶飯事でした。

 

まだまだ書ききれないほどのたくさんのプライバシーの侵害を受け続けてきました。

母は私が大人になるのを必死で阻止しているようでした。そのためにはとにもかくにも監視が必要だったんでしょう。

 

友達から聞くその子の親とうちの親とのあまりの違いに,運命を呪っていました。