母は、自分の子供であっても親とは違う人間で、違う人格を持ち、プライバシーを尊重するべきだ、ということを知らない人でした。今では当たり前の概念ですが、昭和の子育てでは珍しくなかったのかもしれません。しかし、わたしの母はその観念が特別に欠落していたように思います。
引き出しの奥に隠しておいた日記を読み、机の上に開いた状態で置いてありました。
手紙も引っ張り出して読まれました。そして内容について文句を言われました。
お小遣いで買い揃えた漫画を,ある日全部捨てられました。恋愛モノでSEXの描写があったのが気に食わなかったようです。
消しゴムのカバーを外し、消しゴムに好きな人にその人の名前を書いてもらい、またカバーをし、その消しゴムを使い切ったら恋が成就する、という,当時の中学生らしい可愛らしいジンクスがありました。直接名前を書いてもらうので、半分告白したようなものです。私も当時好きだった男の子に名前を書いてもらい、大事にその消しゴムを使っていました。
ある朝、起きて洗面所にいくと、なんとその消しゴムのカバーが外され、男の子の名前が書かれた面を上にして洗面台に置かれていました。家族全員が使う洗面所で晒されていました。
慌てて筆箱にしまいましたが、中学生にはあまりにも恥ずかしく、そして大事な大事な消しゴムを汚されたようでとても悲しく、あまりにも酷い仕打ちをする母を憎みました。その仕打ちになんの意味があるのでしょう。ただのイジメでしかありません。
結局その後も私には自宅にいる限りプライバシーはありませんでした。当時の家電話は本体と2階に子機があったのですが、友達と自分の部屋で子機で電話をしていると、1階にある親機から会話を盗み聞きしようとしてきました。音でわかるのですぐに会話を終えて電話を切りました。そんなことは日常茶飯事でした。
まだまだ書ききれないほどのたくさんのプライバシーの侵害を受け続けてきました。
母は私が大人になるのを必死で阻止しているようでした。そのためにはとにもかくにも監視が必要だったんでしょう。
友達から聞くその子の親とうちの親とのあまりの違いに,運命を呪っていました。