八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

父の葬儀

昨日は父の葬儀でした。

父は自己破産して財産もゼロですし、実家の家計は逼迫してますので、葬儀は簡素な形で執り行いました。

通夜のない1日家族葬というプランです。しかも、父はキリスト教、母は神道ではありますが実態は無宗教ということで、お坊さんも呼ばず、火葬場での精進落としも頼まず、非常にスッキリとしたものでした。

葬儀では、綿のシートで父が着た浴衣の上から白装束を形作ったものを着せたかのように乗せ、その厳かな行為の時間が最も長く取られていました。

その後別れの盃という、小さなコップに水を入れて1人ずつ飲む真似をして、その水を綿で作ったハスの花にかけ、父に自分の名前を言い話しかける、という儀式がありました。

母が最初でしたが、コップの水をハスの花にかける、まではやりましたが、名前を言うのも言葉をかけるのも何もやらずにスタスタと席に戻ってきました。何もかける言葉がない上に、人前でそれらしく演技するなんで絶対に御免だったのでしょう。実に母らしいな、と思いました。わたしはと言うと、一応葬儀社の進行役の方の手前、大人としてきちんとやりました。

全てがアッサリと終わってしまい、自由にお父様に声をかけて下さい、と言い進行係の方は部屋を出て行かれました。ようやくホッとして、みんなでくつろいで雑談しました。

予定の30分くらい前には終わってしまい、出棺して火葬場に向かいました。火葬場はまだ誰もいない状態でした。精進落としも頼んでいないので、持ってきたパンをむしゃむしゃと食べ、自販機のコーヒーを飲んで過ごしました。

葬儀の支払いは私がしました。さくっとカード払いです。

火葬も終わり、お骨を拾って骨壷におさめ、全てが終了しました。

 

いつもの義実家関係のお葬式を経験していて、いろいろな無駄を感じていましたが、それぞれがないとこんなに時間を持て余してしまうものなんだ、と実感しました。お坊さんのお経がないとお葬式は間が持たないことこの上なかったです。

でも余計なお金をかけられないことを考えれば、仕方のないことです。

残念ながら時間を持て余すことに疲れた葬式でした。

妹と母が式の前日に急遽お花を追加したのは正解でした。あれでデフォルトのお花だったとしたら、なんと簡素でさみしかったことでしょう。

 

息子がチョコマカとおかしな動きをしたり天真爛漫に振る舞うので、それでかなり場が和みました。お腹すいたーとか寒いとか暑いとか暇だとか言うのがこんなに喜ばれることもこの先ないでしょう。

 

実家に帰った後は、「あ〜疲れた!!」とシャワーを浴び部屋着に着替えて、昼寝をしました。息子は心置きなくゲームです。

夕方から父も好きだった行きつけの焼肉屋へ行き、ビールを飲み思い切り腹一杯肉を食べました。母の精一杯の振舞いでした。息子は食べすぎて帰る間際まさかの下痢をしてパンツを汚してしまう有様でした。(それは次の日の朝知りました。夫がささっと対応してくれたらしいです)

その豪快な肉の頼み方は、母と妹の感謝(私が葬儀代を払ったことや、夫が1日運転手をしたこと、息子が場を和ませたことへの感謝)の現れが感じられて、私はとても嬉しかったです。

 

そんなこんなで、父の葬儀の1日は終わりました。