八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

母に悪気がなかったこと

先日父の49日ということで、実家に呼ばれました。夫はすでに仕事が入っていて来られず、私と息子でいきました。特にお坊さんを呼ぶわけでもなく、外食するのでもなく、その代わりものすごく奮発して牛肉をたくさん買って、焼肉の準備をして待っていてくれました。父のお骨はまだ父の部屋にありました。お骨をどうするか、まだまだゆっくりと考えるようです。

 

すごく美味しいお肉をもう食べきれない、というくらい食べました。スパークリングワインやビールも飲んで楽しくおしゃべりしました。

きっかけが思い出せないのですが、「お母さんって私が小さい頃怒ってばかりいたよね」という話になりました。不思議なもので、あんなに未だに消化しきれていないくらいその件については恨みが残っているわりに、今まで一度もその話をしたことがありませんでした。

一度口をついて出たら、止まらなくなってしまいました。あんなこともあった、こんなこともあった、といくつかのエピソードを話しました。母は「うそよ、作り話でしょ?」と目を丸くしています。何一つ記憶にないようでした。中学の時、寝坊して布団を畳まずに部活の朝練に行った時、布団を畳まずに出た私に怒り浸透した母が、「今すぐ帰宅するように」と学校に電話をかけてきたことがありました。私はすぐにピンときてダッシュで家に帰りました。自宅の私の部屋はハリケーンの後の残骸のようになっていました。母が怒りに任せて部屋中のものを投げまくったのです。

片付けて、慌てて学校に戻ったら、先生や友達に「なにがあったの?大丈夫??」と心配されました。まさか布団を畳んでなかったことを母が怒って電話してきた、なんてことは言えず、「大丈夫」と誤魔化しました。そんな話もまるっきり覚えていませんでした。また、受験前、「県下1位と2位の高校に入らないと許さないから!!」と怒鳴られたことも覚えていないとのことでした。その時思いっきり蹴られたことは黙っていましたが、もちろん覚えていないんでしょう。

母は「今更だけどごめん」と謝ってきました。妹からも、「まだ消化できてないんだね。もうその辺でやめなよ」といわれ、黙りました。

せっかくご馳走を用意してくれたのに、悪いことしたかな、と少し反省しましたが、事実だし、未だ消化できてないことも事実なので、まぁ、しょうがないか、と開き直りました。

 

正直、すこしスッとしました。まだまだ言いたいことはありますが、もうこの辺でやめておくか、という気になりました。母も80過ぎてますし、もう他人としての節度を持って接してくれているわけですし。。

 

子供の頃の私にイラついて、いじめてスッとしていたのは、無意識にやっていたことでした。母は、より良い子育てや教育について学ぶ、という発想がまるっきりなく、親が自分の感情の赴くままに子供と接してどんな弊害があるかなんて、考えも及ばなかった、残念な母親だったのです。

おかげで、私は同じことを繰り返さない為にたくさん本を読んだりセミナーを受けたりオンラインサロンに入ったり、やり過ぎなくらい学びました。これは、母のおかげと言えるでしょう。