八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

大人になることを阻止される 2

そういった母の言動を毎日のように浴びて、また、思春期の自我の目覚めと相まって、私はだんだんと男子と話すことに対して過剰に意識するようになりました。中学2年になると、それ以前のように自然に話すことができなくなりました。

 

受験が終わり、中学卒業を目の前にした時期、いくつかのカップルができていて、楽しそうに一緒に下校しているのを見ると、まるで別世界の出来事のように感じました。

 

高校に入学した後、母の「勉強しろ」はなくなり、母なりには制約を緩めたつもりだったのかもしれませんが、私にとっては相変わらず制約まみれの窮屈な日常でした。

21:00門限でしたし、友達の家に泊まりに行くのも母は物凄く拒否するので、あの手この手で説得するのにものすごく疲れました。夜遊びに行くのももちろんダメでした。みんなが盛り上がってる最中に1人帰るのは辛かったです。親ガチャという言葉はその頃はありませんでしたが、完全にハズレの親があてがわれた運命を呪いました。

 

私は高校ではたくさんの素敵な楽しい女友達に恵まれました。みんな自由で精神的に私より大人でした。私は今だに親から制約を与えられ行動を制限されていることが大変恥ずかしく、あたかも自分も自由に生きているかのように振る舞いました。あの時、みんなに「うちの親はハズレなんだ」と打ち明けられたらもっと楽だったと思うのですが、そのことを自分の恥のように感じてできませんでした。

 

そして、高校では全く男子と話すことができなくなっていました。それはもう全く話せないのです。緊張して顔が赤くなりほぼ無言です。男子にも女友達にもよく怪訝な顔をされました。

もう恐怖症のような状態になっていました。

もう、男子など存在していないかのように過ごしていました。その割に内心ものすごく意識していて、もう完全に不自然極まりない状態でした。

当然男友達などできませんし、彼氏ができるはずもありません。

母の妨害を想像するだけで、男子と付き合う、なんて大それたことにトライする気力もありませんでした。

 

そのくせ、イケメンを外見だけで好きになったりもしていました。

クラスも違い話したこともないそのイケメンに、高2のバレンタインデーの時に手作りクッキーを渡しました。渡した時彼は爽やかな笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。その後私は何を言っていいかわからなくなりました。(え、この後どうするの?)と思いました。そうです、私は告白した後に付き合うということが念頭に無かったのです。

結局わたしは小学校低学年の女の子がやるみたいに、ただクッキーをあげただけでした。

おそらく相手は断ることもできずに(なんなの?)と不可解だったことでしょう。

そのくらい私は奥手というか、恋愛の土俵にも上がれない女子高生でした。

 

その後の高校生活は、そのイケメンの取り巻き達が自分を笑っている気がして、生きた心地がしない状態で登校していました。きっと向こうはしばらくしたら私のことなど気にもしていなかったと思いますが、卒業するまでモヤモヤと過ごしました。

 

こんな性格で、わたしはまともに人並みに大人になれるのか、ジワジワと不安を感じていました。