八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

絵を描くことが好きだった

私は物心ついた頃から絵を描くことが好きでした。赤ちゃんの頃から広告の裏にずーっと絵を描いていたそうです。

小学校1年生の時に、学校で飼っているうさぎの絵をうさぎ小屋の前で写生したことがありました。その時、ふわーーーっと絵の世界に引き込まれて無心で白いウサギと黒いウサギと真ん中に飛び跳ねるウサギの残像を描きました。あの時の高揚感が忘れられません。夢を見るような気持ちよさを感じました。

その絵はコンクールか何かで賞を取り、近隣の学校に貼り出され、最後に私の手元に戻ってきませんでした。

 

もう一度、ウサギの時と同じような夢見るような高揚感を感じたことがありました。

3年生の秋稲刈りをしている田んぼに写生をしに行きました。その時もびっくりするほどあっという間に時が流れ、絵が描き上がりました。ものすごく気持ちが良かったのです。ドラッグをやったことはありませんが、もしやったらこんな感じなのでは?と想像します。

その稲刈りの絵も何か大きな賞を取って、結局手元に戻りませんでした。

 

低学年の頃は図工で絵を描いても、気に入った絵はいつも私の手元に帰ってこないので、賞を取った喜びよりも「わたしの絵を返して!」と怒っていました。

わたしはたいていクラスで1番絵が上手い子供でした。

 

高学年になるに従って、ちょっとあざとくなり、技巧的な方にこだわるようになった為、賞をとることはなくなりました。だんだんと、デッサンみたいな写実的な描写に興味を持ちました。

 

中学の時は部活に明け暮れて美術の時間以外は一切絵を描くことはなかったのですが、(高校に入ったら本格的に美大に行くための準備を始めよう)と考えていました。

中2の時、同じく絵が得意な友達から、美大という絵を本格的に学べる大学があるということを教えてもらったからです。

 

高校に入学した直後に、1番近くにあった小さな美大受験の予備校に勝手に申し込み、学校と予備校の2拠点生活を送り始めました。

 

さすがに母も私の絵のことについては常に先生から褒められていたこともあって、私の美大受験希望を受け入れてくれました。