八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

中学生の頃のエピソード

昔を思い出しながらブログを書いていると、やっぱり私はずっと鬱病だったんだと思います。

 

死にたい,と考えたことはないし、食べられない、ということもないです。寝られなくなったのは更年期と重なったここ数年の話で、それまでは,ものすごいプレッシャーがない限りは基本は寝られてました。  

なので、重症度の低い万年鬱病って感じかな、と自己診断してます。

 

ちょっと思い出したエピソードがあります。

 

中学の時、部活の仲間の1人と大喧嘩をしてしまったことがありました。彼女はちょっとわがままなところがあって、他の友達も対応に困っていました。私はその時友達を大声で罵倒し、蹴りました。友達は泣いて喧嘩は終わりました。他の友達からよくやってくれた、と感謝されました。その時私はこの上ない高揚感を感じていました。日々母親にやられていることを誰かに返したような感じで、ものすごく気持ちが良かったのです。

そして、そのあまりの気持ち良さに、他の友達にも喧嘩をふっかけて罵倒して泣かせてスッキリする,と言うのを数回やってしまいました。

そのうち部活の仲間から総スカンをくらいました。当然です。あんなに仲が良かったのに、仲間はずれ状態になりました。

 

部活は全国大会に出るくらいレベルが高く,監督は厳しい昭和の体罰教師でした。練習も半端なく厳しいものでした。先輩達も怖く、よく反省会という名のもとに部活後に部室で怒鳴られたりしました。

 

そして仲間からは嫌われ,家に帰れば母から怒られ続ける。

ある時、部活の帰り道、夕日の中を歩きながら、(私家にも学校にも居場所がない、居場所がない,居場所がない…)と絶望的な気分になったことをよく覚えています。

 

部活の仲間とは後々なんとか普通に付き合えるようになり、クラスにも友達はできましたので、ずっとこんな状態だった訳ではないのですが、忘れられない記憶として残っています。