八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

(12月の日記)サボってるつもりはないけど、サボっていたことになるの?

(鬱真っ只中の12月の日記の下書きがあったので、投稿します)

 

コロナ禍でリモートワークが増え、生活が激変しました。自宅で自分のペースで仕事ができ、空いた時間が増え、心に余裕ができました。子供との時間も増えました。

きちんとやることをやりさえすれば、時間をやりくりしてそういった自由な時間を捻出しても良いと思っています。私は裁量労働という基本的には時間の縛りがない労働形態だから尚更です。

 

そんな日々を過ごしながら、勝間和代さんのメルマガを読んだり、両学長のYouTubeを見たりし始めました。

そうすると、会社のために働くことがだんだんバカバカしかなってきました。なぜ、他人の為にこんなに心も時間も奪われているのか。。。

そんな心境の変化もあり、知らず知らずのうちに行動も徐々に変わっていったかもしれません。

 

それでも、雇われてお給料をもらっている以上はプロとしてしっかり働きます。忙しい時期は寝る時間を割いて最大限やります。必要とあらば毎日出勤するし、残業もするし土日も返上します。それは、絶対に自分の仕事をいい結果に導くためで、会社のためというよりは自分の為にです。

プライベートの時間を犠牲することもある反面、繁忙期以外は集中して仕事を終わらせ、自分の時間を捻出しました。

 

今回のどん底の件で、あまりの辛さに直属上司に相談を持ちかけました。

「日々の積み重ねが1年後とかに仕事の成果として表面化する、だから、時間に余裕がある時もストイックに自分のデザインの向上の為に励んだ人だけが、今になって成果として表に表すことができると僕は思ってます」

その時の一回り年下の上司の言葉です。

正論です。全くその通りです。

「私は自分ではかなり頑張ってるつもりですが」というと、「いえ、全然頑張ってるなんて言えないでしょ。全く努力が足りない。だから当然の結果でしょう。僕ぐらい頑張ってから頑張ったと言って下さい。もっと精進して下さい。」

とはっきり言われました。

自分にも他人にも厳しい人なので、この発言には慣れてます。この人が部下を褒めるのは3年に一度くらいです。

 

こんな風に言われて、集中して早く終わらせた分を自分の時間にしていたことに少々の罪悪感を感じてしまいました。

 

猛烈に忙しい時にプライベートの時間を犠牲にして、余裕がある時にその分を取り戻したら、サボってることになるんでしょうか。なんだか納得いかないですが、

一方で、もしかしたらそんな日々の積み重ねで今の八方塞がりな状況を自ら作り出してしまったのか?とも思えてきました。

 

でもこれでは自分の人生の立て直しをする時間が取れない。会社に時間と心を捧げるのをやめたいと思った以上、このままなんとかやり過ごすしか手立てはありません。

 

どっちに動くにも足枷をされたような感覚で、自由に身動きできません。

わたしは間違ってないはずです。まだまだ会社の呪縛を強く受けすぎているに過ぎないのだと思います。

苦しいです。