八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

幸せの定義

幸せは、「利他と成長」によって得られるそうです。

私は人より利他の精神が少ないのではと思います。

ちょっとサイコパス的な部分も否めないと思う時もあります。滅私奉公なんてまっぴらごめんですし、時々チームのみんなのために資料を作ったり片付けをしたりすることもありますが、暇なときに気が向いたらやるだけのことで、ちょっとでも自分の仕事が忙しいと手をつけません。

売れるものを作る、というのも、自分の評価と実力アップの為だけにやっています。会社がどうなろうと自分の給料に関係なければ興味ない,というのが正直なところです。

 

1人,私から見て相当利他的な精神をもっている同僚がいます。

自分の仕事がどんなに忙しくても、共有部分の資料整理をしたり、他の部署の人の質問に丁寧に答え、何か探している人がいれば一緒に探してあげる、そんな人です。

更に仕事もできます。売れる商品をたくさん作り、その為誰よりも忙しいのです。

帰宅後寝る時間を削って自分の仕事を完了させているようです。

 

直属上司が連れてきたということもあり、上司とはもうすでに強い師弟関係があり、お互いに信頼の熱い関係です。

 

以前この日記で書いた、フランス人マネージャーがいた時に活躍していた彼女です。

 

わたしは彼女が大好きです。感じが良くて優しくて親切でかわいい。わたしの方が一回り以上年上ですが、いろいろ相談に乗ってもらったり相談を受けたりお互いに良く話します。出社して彼女がいると(あ、来てるな)と嬉しくなりますし、近くの席に座ります。

 

デザインにおいては、彼女と私は持ち味が違うので、わたしは彼女の仕事をリスペクトしてますし、勝った負けたというのはないと思っています。

ただ、他の人からの信頼度については、わたしは完全に彼女に負けています。

以前はそれが苦しみの一つとして大きく私を揺さぶりました。大事な会議に上司の代わりに出るのは彼女です。私には声がかかりません。私はてこでも17:00に帰ってしまう、というのもあるかもしれませんが、逆にそれを都合よくとらえられ、同僚の方に声がかかります。

上司にとってもなんでも話しやすく頼みやすいのが彼女です。

私と彼女は同じ役職がついていますが、私はただ役職がついているだけ、彼女は役職に見合った仕事をしている、そう思うといたたまれない気持ちになりました。

 

また、彼女はMDからの期待も絶大でした。私から見ると彼女の提案である、というだけで採用されているようなものも多々あるように感じています。

 

みんなから期待されて寝る時間を削って仕事をしている彼女に比べて,特に期待されているような感覚もないまま、タイトなスケジュールで寝ないで仕事するモチベーションもわきませんし、モチベーションがない状態では無理する体力も出てきませんでした。とにかく、気力体力共に頑張れない状態になりました。

それは、更年期と鬱と一緒に私を押し潰しました。

 

今日冒頭に書いた「幸せとは利他と成長によって得られるもの」という言葉を聞いたとき、真っ先に彼女が頭に浮かびました。

この定義においては、彼女こそが真に幸せな人だと思います。

 

上司と相談している時、「わたしはもう彼女には完全に負けを認めている」となぜか自然に口からでてきました。そして話しながら(確かに完全に負けてるわ)と思いました。

 

私には彼女と同じことはできません。

せいぜい私にできる程度の利他を心がけるくらいです。

モヤモヤした気持ちを言語化したら、(しゃーない。まーいっか)と割り切れてしまいました。

やはりわたしはわたしのままでいるのが良いんだと思います。性に合わないことをしても気恥ずかしく落ちつきませんし。

でも目の前にいる彼女の行動を見ているだけで,自分に少し良い影響があるように思います。