一昨日の続きです。
結局29歳で結婚し、38歳で本格的に不妊治療を始めるまで、ひたすら浪費して、遊びました。
冬は友達と北海道や新潟,秋田にスノーボードに行き、夏は毎年沖縄旅行をしました。
大して音楽に詳しくもないのにフジロックやサマソニにもよく行きました。そういうレジャーはとても楽しかったです。
酷かったのは呑みでした。平日でも関係なく朝まで呑み、そのままタクシーで帰宅して午後出勤したり、友達の家に泊まって昨日着てた服のまま出勤したり、などはしょっちゅうでした。
家でも1人でワイン1本空けて、ソファーで朝方まで眠ってしまい、次の日は二日酔いで会社に行く、なんてのもよくやってました。
あとは、買い物です。服を買いまくりました。元々おしゃれは大好きでしたから、母の取り立てから解放されて自由にお金が使える喜びで、思い切りおしゃれを楽しみました。
「結婚したら雰囲気が変わって素敵になったね」と褒められたことがありましたが、(私自身は何も変わらないけどおしゃれできるようになったからね)と思っていました。
このように言うと、享楽的な人生を謳歌して楽しんでるように聞こえるかもしれませんが、
しばらくすると、だんだんと病んできました。母との戦いがなくなった分、自分自身に意識が向いて、自分のうまくいかない行動やままならない仕事上の人間関係などで悶々としました。その憂さを晴らす為に、また呑んで買い物をしました。
私はきっと父の血を受け継いで、お金の才能に恵まれなかったに違いない、と思い込みました。散財して着飾っているのに、実際は常にお金がない、ただただ知能の低い人間に成り下がっていたわけです。
だいたいいつも同じ友達とつるんでいました。
ある日、久しぶりに会う友人とご飯を食べました。その友人は20代で卵巣がんが見つかり、手術、抗がん剤治療を経験して、その後すっかり元気になりました。彼女は、時間がとても大事だとわかり、英会話を始めたりいろんなことにチャレンジしている、と話してくれました。でも、その時の私は、(遊ぶのに忙しいから勉強の時間を捻出するのは無理)と思い、(なんでわざわざ余暇を勉強なんかに使うのかな?)と不思議に思っていました。
こんな、知能の低い状態で二度と戻らない時間とお金をドブに捨てるように生きていました。レジャーに関しては楽しい思い出をたくさん作れて良い面もありますが、呑みに関してはドブに捨てたと言えるでしょう。
38歳ででっかい子宮筋腫の手術をした時、(もう子供は産めないのか)と今更思いました。(それは寂しい)と初めて思い病院の診察室で涙を流しました。もはや毎日何のために生きているのかよくわからなくなっていました。(誰かのために生きたい)と急に強く思いました。
世の中では40代で子供を産んだ芸能人の話をよく聞いていたので、これから妊活すれば子供を産めるだろう、と今思えば軽く考え、でもその時は一世一代の大決心をして、夫と共に不妊治療の病院の門を潜りました。
そこで、わたしの浪費はやっと止まりました。
29歳から38歳まで9年かけて、ようやく気が済みました。30年間母親からあれもダメこれもダメと言われ続けて育ち、また自分自身でも自分を否定し、翼をむしられて飛び立てない鳥のような子供時代、青春時代を過ごした憂さを、歪んだ形で発散するのに9年を要しました。
今は遅ればせながら蓄財を頑張ってます。
なんとか1人息子の教育費と自分達の老後に破産しないで生きていける金額を目指して、月々先取り貯蓄してます。ドルコスト平均法も勉強し、NISAなども満額やってます。
もっと早く目が覚めて、今の貯蓄を始めていれば、今頃余裕だったことでしょう。嫌なら会社も辞めて,自分の事業をスタートできたでしょう。
でもこれが私の運命、というか、やってきたことの結果です。