私は、社会人になるまで、自分の実家がごく普通の中流の家庭だと思っていました。
実際最初はそうだったんだろうと思います。
ところが、私が社会人になった頃、父が長年をかけて逆の複利によって数千万に膨らんだ借金を抱えていたことが判明しました。
そこから地獄のような日々が始まりました。
私は幼少期からずっと母と折り合いが悪かったので、社会人になったことで一人暮らしを目論んでいたのですが、
父の膨大な借金のせいで,実家を売り、母と妹と3人で縁もゆかりもない土地で賃貸暮らしをする羽目になりました。母と妹は私が逃げ出すのを阻止するべく目を光らせているようでした。少なくとも私はそう感じていて、なんとか逃げ出す口実を探す日々でした。
賃貸暮らしが始まると、母に少ない給料からたくさん取り立てられて、残りをやりくりして服を買うとひどく文句を言われました。
新しい靴を買った時、こっそりカバンに入れて持って行き、駅で古い靴と履き替えて会社に行ったりしていました。
ファッション業界でデザイナーをやっていたので、できれば貧乏くさい格好はしたくなかったのですが、母の取り立てが厳しくて、悲しくも古い服の着回しをするしかありませんでした。
母は、実家がこんなふうになる前も、私が子供の頃から庭木の剪定、障子の張り替え、襖の張り替えなど、私にいろいろやらせる人でした。私は手先が器用だったので、便利だったのでしょう。遊びに行きたいなぁ、と思いながらお手伝いさんのようにいろいろ働きました。
そして、家にお金がなくなったら取り立てが始まったわけです。
これはもう結婚して逃げないと、一生パラサイトされる、と恐怖しました。
家庭の問題にこれ以上巻き込まれるのはごめんでした。美大に通わせてくれたことは大変感謝してますが、心理的安全性の全くない家庭で育ち、母親に対してはその頃は煩わしさしかなく、とんでもない借金を作った父に対しても,私を巻き込まないで、これ以上私の未来の邪魔をしないで、としか考えられませんでした。
その頃30を目前にしていたので、このチャンスを逃す手はないとばかりに、5年付き合っていた今の夫に「そろそろいかがでしょう」と切り出し、結婚話をグイグイ進めました。
その間の母の抵抗は物凄かったです。
その話はまたそのうちに…
最終的には結婚することができ、結婚式の日に新居に引っ越して、無事実家からの脱出を果たしました。
そこからです。私はタガが外れたように浪費しつづけました。服を買って靴を買って鞄を買ってアクセサリーを買って、連日呑みに行って,年に数回旅行に行って、と言った具合に、とにかく散財し続けました。
やっとやっとやっと30年求めていた自由を手に入れて、それを手放すのが勿体無くて、結婚したけど子供なんて全然欲しくありませんでした。
ちょっと長くなったので、続きは明日に。。