八方塞がり日記 (50代OL 鬱治療中 それでも起業したい)

50代女性。大卒から今まで企業内デザイナーとして正社員で働き続けてきて、仕事がアイデンティティとなってしまいました。思えばずっと抑鬱状態でしたが、この度晴れて鬱病と診断されました。幼少期から結婚して家を出るまで母との関係で疲弊し、インナーチャイルドを抱えながら生きています。

俯瞰して見る

今の状況を俯瞰してみると、

 

とにかく視野狭窄になっている自分がいます。

被害妄想に取り憑かれ、他人と比較して劣等感を抱いてます。

誰も私のこの状況を気にもしてません。

 

上司は社員ではなく、自分の会社を経営している外部の人で、苦労人です。そんな上司は私のことを俯瞰した視点で見てこう言います。

「実はそんなにたくさん苦労して仕事しなくても誰からも文句を言われることもなく、仮に売れない商品ばかり作っていたとしても責任を取らされることもない。その上この業界の水準に比べたら良い給料をもらえて、最高に恵まれた環境」

 

「売れてるブランドだから、業者にも一目置かれてるし、リモートで裁量労働で自由に仕事できるし、会社のお金でいろんな研究もできる。こんな環境を手放したらバカだ」

 

「そしてあなたはここでいい仕事をしている。あなたは他の会社がどんなにひどいか知らない。転職活動したらここがどんなにいいかよくわかるはず。それを実感するためにも転職活動やってみたらどうですか?それで他にもっといいところがあるならそこに行くのは止めない。

でもあなたのために悪いことは言わない。休む(辞める)のは勿体ない」

 

自分の過去のパターンをみてみます。

 

二度目の会社の時も、給料は少なかったけど、とても自由で、20年前の当時でも時々自宅勤務しても何も言われることはなかった。でも、最後の方は企画が出せなくなってしまい、いたたまれなくて辞めました。今と似た状況です。

あの時も精神状態は最悪なのに辞めるのが勿体無いと思い、随分と長引かせてしまいました。

 

そして,あの頃は完全にアルコール依存症になってました。酩酊していないと人と対峙するのが不安で不安で、逃げるように退勤した後コンビニでアルコールを買いハンカチで隠して飲みながら人通りの少ない道を歩いて駅まで向かっていました。手前味噌ですみませんが、若くて綺麗でアパレル勤務のオシャレ女子でしたが、ハンカチでチューハイを包んでコソコソ飲んでる訳です。その瞬間やっと一息つけました。完全におかしくなってました。

辞めたらそんな危機的な状況からは少しずつ回復しました。

 

2回目はFで始まる会社でUの雑貨デザインチームで働いていた時です。

この時は激昂する上司に萎縮し疲弊しつつ、やってもやっても終わらない仕事量に病みました。何度か上司に「給料を半分にして,仕事量を半分にしてください。精神的に持たない」と直談判しましたが、「ダメ!容量が悪い。容量よくやれ」と却下されました。

その上、その上司が企画する飲み会や休日のリサーチ(飲み会もセット)なども頻繁にあり、1/3くらい断ってましたが、参加を強制されて嫌でたまらなかったです。NY出張で次の日早朝出発なのに、前日夜飲み会を開催されて出席を強要された時は、出張の朝は死ぬかと思いました。

 

仕事自体、会社自体はやってやれないことはない,と言う感じでしたが、上記のことが辛すぎました。

なのに、これまた辞めるのが勿体なくなったのです。Fは給料が今業界よりずっと良かったのです。辞めるか続けるか悩み続けました。

そんな折、不正出血が続き婦人科を受診したところどデカい子宮筋腫が見つかり入院し手術することになりました。

そのまま辞めればいいものを、1ヶ月休業した後復帰しました。そしてその後、ますます精神状態を悪くして今思えば完全な鬱になり、やっとやっと辞める決意ができました。

 

書いてて、自分に呆れると同時に、この仕事に対する囚われはなんなんだ、と不思議です。

これも現状維持バイヤスなんでしょうか。

呪縛から解き放たれたいです。  

そしたらなんのことはない、静かな平和が訪れそうです。もれなく貧乏とセットで。。